田中 裕二(たなか ゆうじ、1965年〈昭和40年〉1月10日 - )は、日本のお笑いタレント、漫才師、随筆家、司会者、俳優、声優。太田光との漫才コンビ「爆笑問題」のツッコミ、リーダー担当。 芸能プロダクションはタイタン所属。妻はタレントの山口もえ。 東京都中野区鷺宮に生誕。35歳で最初の結婚をするまでずっと同じ家にいた。 |
X‐GUN「ボキャブラ世代」番組ブームの裏側と、爆笑問題・田中裕二の“スゴさ”
2021年9月23日 21時0分 週刊女性PRIME
https://news.yahoo.co.jp/articles/ab863eab00ae838aa1dc90580e94ed58bcd42bd3
『X‐GUN』西尾季隆(左)、さがね正裕
(出典 amd-pctr.c.yimg.jp)
さがね正裕(以下、さがね)「当時は常にダジャレを考えている状態でしたね」
放送当初は視聴者投稿番組としてスタートした『ボキャブラ天国』(フジテレビ系)。何度かのマイナーチェンジを経て、1997年から“キャブラー”と呼ばれる若手芸人たちがダジャレネタで競うスタイルになったことで、大ブームに。そんな人気番組で1回も休むことなく番組を盛り上げたのが、X-GUN(バツグン)の2人。
さがね「ボキャブラネタは番組が用意した用紙に箇条書きでフリになるコント部分を書き、最後に言い換える前の言葉とダジャレになる言葉を書く……という方法で作っていました。当時はメールもなかったので、相方とそれぞれ何十枚も手書きして、毎回番組スタッフにFAXで送っていましたね」
西尾季隆(ひでたか)(以下、西尾)「何十個と送った中から厳選された7~8本を収録するのですが、放送されるのは3~4本。相方と自分のネタのどちらが多く採用されたか覚えていないぐらい、とにかく大変でした。ボツになったものも含めると番組終了までにそれぞれ1000本はネタを作ったんじゃないかな」
スタジオのひな壇に座れる“メジャー”と“チャレンジャー”の入れ替え戦も、番組の見どころの1つ。
西尾「メジャーにいる芸人にかみつくなどテレビに映る方法はあったので、チャレンジャーに落ちてもあまり気にはしなかったですね。ただ、チャレンジャーはカメラが回っていないところでもスタジオの外で立ちっぱなしだったので、体力的にはしんどかったです(笑)」
さがね「自分たちの中では渾身(こんしん)の出来のものがスタジオではウケなかったり、その逆もあったり。ボキャブラネタに関しては最後まで正解がわからなかったですね」
◆流行語「だっちゅーの」はスタッフが
当時は珍しかった、若いアイドル2人が組んだ『パイレーツ』が番組からブレイク。プロの芸人は、彼女たちの存在をどのように思っていたのか?
さがね「本当にイマドキの女の子たちで、僕らから見たらただの子どもでした。事務所にやらされている感が満載で大変そうだなって(笑)」
西尾「流行語になった“だっちゅーの”という胸を寄せるギャグも、番組スタッフが考えたものだったそうですから」
さがね「完全に別枠という認識だったので、僕らより彼女たちがウケてもまったく悔しくはなかったですね」
そんな2人が、当時から一目置いていたのが爆笑問題。
西尾「本ネタの漫才だけでなく、ボキャブラネタも抜群に面白かったので、さすがだなって。大ウケするともらえる大座布団をすぐに10枚集めて初代名人になりました*」
さがね「漫才は太田(光)さんが作っているのですが、ボキャブラ用のネタはすべて田中(裕二)さんが作っていたんだよね」
西尾「だから太田さんに会ったときは、“今の爆笑問題があるのは、田中さんのおかげ”とよく言います(笑)。もともと実力は飛び抜けていたけど、この番組で2人を知った視聴者も多いと思うので、田中さんの功績は偉大!」
芸人がアイドル級の人気に
キャブラーが集結した1997年に富士急ハイランドで行われたイベントには、約1万人のファンが集まるなど社会現象に。当時の盛り上がりをどう感じていたのだろうか。
西尾「芸人の間では意見が二極化していましたね。黄色い歓声が挙がって、ネタをちゃんと見てもらえない……と悩むタイプと、アイドル的な人気を楽しむタイプ。僕らは後者でした(笑)」
さがね「若い女の子たちにキャーキャー言ってもらえるなんて、普通に生きていたらありえないですから」
西尾「僕は当時からデブキャラで単体では人気はなかったので、相方の人気のおこぼれで“トシちゃん気分”を堪能していましたね(笑)」
>>1
老けたな、そりゃそうか
X-GUNって説教ネタで一瞬再ブレイクしかけてたよね
たぶんあれが最後のチャンスだった
>>8
内Pでも一瞬推されてた時期あった
主にさがねだけど
爆笑問題とかくりぃむとか土田とか見るたび
こいつらダジャレで出てきたくせに何威張ってんだろうと思ってしまう
>>10
その辺は漫才とかコントで出てきたんだよ
>>10
土田は1回消えてるし出てきたのは蘊蓄でだろ
>>41
ひな壇番組ブームじゃね?
ボキャブラは面白かったけど、若手芸人番組になってから離れた
>>12
芸人番組になってから視聴率ははねあがったけどな
くりいむとか爆笑となにが違ったんだろな?
どこで差がついたのか
>>16
この時から差があったろw
ガキの使いで一瞬だけブレイクしそうになったけど
ああいうチャンスを掴めない所がX-GUNらしいな
>>23
>>24
やっぱり再浮上してたよね(ブレイクには至らなかったけど)
太田には悪いが君のルックス目当てだったしネタはコント時代の方が好きだ
>>30
当時太田と桶田がかっこいいと思ってみてたわ
よく新聞とかくまなくみて出てる番組ないか探してた
関西だからかNHKの昼の演芸番組みたいなのとか
子供番組にちょろっと出てるのしか見つからんかったわ
さまぁ~ずがボキャブラ出演拒否してたと聞いて
なんで第四世代の中でさまぁ~ずだけ圧倒的に面白いのか腑に落ちた
こんなダジャレ番組出てる時点で芸人として終わってるからな
>>33
ダジャレオチ縛りのショートコント考えんとあかんし
そんな幼稚なことやってたわけでもないよ
>>33
さまぁ~ずは悲しいダジャレで売れただろ!
ボキャブラでてるとどこでもきゃーきゃーいわれて
金はいったって
でもネタがだじゃれでテレビ演出込みだから
営業でやってもうけない
実力と人気がかけはなれてたから
爆笑とか実力あるのはさっさと卒業していったけど
力のないやつがボキャブラにしがみついてた
しょせんダジャレだからエンタ芸より酷い番組だったと思う
>>35
のちにゴールデンタイムで看板番組やるようなコンビトリオいっぱい出てたってのは
ボキャブラぐらいだと思うが?
>>38
でてた芸人がいってたことだから
実力のある芸人たちは卒業して次のステージにいって
どうしようもないやつが残ったと
まあそういうおいしい時代だったんだろ
>>65
爆笑大田がそのまんまの事言ってたわ
デブは声張り上げてるだけのおばさんキャラつまんなかった。のちの朝鮮押しで消えた
>>39
挑戦押しなんかしてたの?
フォークダンス好きだったなぁ
>>45
2人とも亡くなるなんてな
コロナ前の浅草東洋館で漫才見たけど
面白かったよ。
バナナマンのラジオでのサガネさんは輝いていた
>>54
今でも面白いのか
面白い人には売れてほしいなぁ
むかし爆笑や上田がX-GUNとかボキャブラ仲間を
再度売ろうと使ってたけどほんと余計だったよ
こういう仲間意識は視聴者には関係ないから
金谷なんてネタをブラッシュアップしてなくて
古いネタやってたわ
まあPPAPはリズムネタで売れちゃったけど
あれだって本来は一発屋だろ
>>70
人間なんだから情ってもんが湧くだろ
思いやりすらなくなったら人として終わりだよ
>>70
むしろそれって勝ち組が負け組を公開処刑してるようにしかならないんだよな
>>70
ピコ太郎はその一発がでかいんだよ
トランプ側のリクエストで日米首脳会談の余興やってるんだから
>>86
幸運なる一発屋でしかないだろ
XGUN
海砂利水魚
フォークダンスde成子坂
この辺すごく好きだったけど今何してんだろな
もうお笑いからは手を洗ってんのかな
>>71
海砂利水魚は
くりぃむなんたらに転生したろ
>>71
成子坂の2人とも亡くなった
>>71
お前知ってて書いてるやろ
特に一番下は釣りにしても悪質
ナイツ曰く「X‐GUNは未だに舞台でボキャブラネタをやるけど、まったく受けない」って言っている。
>>79
ボキャブラの時にやってたネタ
なのか
ボキャブラ時代の話をする
なのか
オセロがエロネタやったら
ヒロミに君らがそれ系をやると生々しいから
やめてくれって言われてたな
>>80
中島おかしくなっちゃたよね
>>80
オセロだってほとんど自分たちでつくってないけどな
上田が小坂面白いとか散々持ち上げてるが何なんだろうな
>>85
プライペートで仲が良いんじゃね
ヒロミが消えてたのは堺正章を怒らせたからって本当なのか
>>89
復帰後、チューボーですよでヒロミがゲストに出て、それをネタにしていた。
堺先生曰く「私にそんな権力があるならば、消したい芸能人はいっぱいいます」と。
>>97
なんだただの都市伝説かw
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