おニュー!芸能トピックス

最新の芸能界やスポーツ情報を取り上げていきます。

    2021年02月


    とんねるず   
    とんねるずは、石橋貴明と木梨憲武からなる日本のお笑いコンビである。歌手である。1980年結成。所属事務所はアライバル。所属レーベルはポニーキャニオン。帝京高校の同級生。『お笑いスター誕生』でグランプリを獲得。               



    (出典 toyokeizai.net)


    石橋貴明 とんねるず解散危機明かす 木梨憲武とブランコで「辞めっか」

    1 爆笑ゴリラ ★ :2021/02/01(月) 10:26:35.35 ID:CAP_USER9.net BE:974437606-2BP(0)


    (出典 img.5ch.net)

    2/1(月) 10:20
    スポニチアネックス

     石橋貴明 とんねるず解散危機明* 木梨憲武とブランコで「辞めっか」 
     
     お笑いコンビ「とんねるず」の石橋貴明(59)が1月31日放送のTBS系「情熱大陸」(日曜後11・00)に出演。とんねるず解散の危機があったことを明かした。

     番組の中で、思い出の場所である赤坂の公園に立ち寄った石橋。とんねるずの不遇の時代、木梨憲武(58)とコンビ解消まで話しあったことがあったという。「(2人で)ブランコに乗って、“辞めっか、ダメだな”と」。

     踏みとどまったことでブレークにつながったが「本当に技術とかは何もなくて。勢いだけでやってきた。40年間くらい」とここまでの道のりを回顧。「昔みたいにダッシュはできないけど、100メートル9秒台では走れないけど30メートルなら3秒台でいけるぞって感じ。好きならやるしかない。大好きなんですよ」と、仕事愛を熱く語った。


    (出典 amd-pctr.c.yimg.jp)

    https://news.yahoo.co.jp/articles/f5368b6127290bbfc71225c7eaf7b660b0e33d72


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    パンチ佐藤パンチさとう、1964年12月3日 - )は、神奈川県出身の元プロ野球選手(外野手・内野手、右投左打)、タレント、野球解説者。 本名および野球選手としての旧登録名は佐藤 和弘(さとう かずひろ)。プロ野球選手時代の髪型だったパンチパーマがトレードマークであり、芸名の由来ともなっている。



    (出典 static.wixstatic.com)


    パンチ佐藤さん 仰木監督の「芸能界に行ったら年俸5倍稼げる」 引退を決意した瞬間を語る

    1 砂漠のマスカレード ★ :2021/02/01(月) 10:18:57.80 ID:CAP_USER9.net

    【その日その瞬間】
     パンチ佐藤さん(56歳/スポーツタレント)

     人生の岐路となったその瞬間は仰木彬監督から「芸能界へ行け」と言われた日。タレントとして活躍する元プロ野球選手を引退後の芸能界に導いた仰木マジックについて語ってくれた!

      ◇  ◇  ◇

     僕が上田(利治)監督の「うちに来てくれるね」という一言に「心は一つです!」と答えて、オリックスに入団させてもらったのが1989年。1年目は上田監督の下で1番松永、2番が僕、3番門田、4番石嶺、5番藤井と組んでもらい、レギュラーとして3割の打率を残せて、手応えを感じていたんです。

     ところが、2年目からの土井(正三)監督の時期はうまくいかず、僕も土井監督の下でふてくされちゃったところもあって、さっぱりダメで……。

     「このまま選手として終わるわけにはいかないぞ。違う監督の下でもう一度勝負してみたい!」という気持ちを持った94年に仰木監督になったんですよ。仰木監督の下でダメなら諦めもつくし、活躍できれば「ほら、やっぱり俺はやれるだろ」となるし、白黒ハッキリつけられると思ったんです。

     仰木監督はコーチからではなくて、新聞記者の方たちから選手の情報を得ていたんです。コーチは選手個人への気持ちが入っちゃうから。仰木監督は記者たちを毎晩のようにお酒に誘うので、記者の方も本当のことを言うわけですよ。

     「佐藤は守備はうまくないけど打ちますよ」「ピンチヒッターなら十分やれます」と聞いた監督が「パンチ再生」と宣言してくれた。

    ■「俺と同じ散髪屋さんに行って、パーマあててこい」

     「俺と同じ散髪屋さんに行って、パーマあててこい」と店のメモを渡されて行くと、散髪屋の主人が「仰木監督から『俺と同じようにしてくれ』と言われてます」と、監督と同じ席で同じコテでパンチパーマして、同じようにビールやうどんまで出してくれました。そこまでされたら僕も燃えますよ!

     有名な話ですけど、「鈴木一朗も必ず出てくるが、一人でイチローに改名すると風当たりが強くなるから、パンチ佐藤と一緒に売り出そう」と監督が考えてイチローと一緒に改名。オリックスに注目を集めたんです。

     シーズンはそこそこ打っていたけど、夏場に投手を1人増やすために僕が二軍行きを宣告されて。「パンチ再生って言ったのに!」と8、9月は二軍でモヤモヤして過ごし、ついに監督に電話して「話がしたい」と申し出て、ホテルのラウンジで会うことに。

     僕はカッカしてるからビールをガバガバ飲み、「僕は一生懸命に努力してます。努力が足りないならもっと努力するし、使えないのなら辞めますので、どっちか言ってください」と聞きましたよ。

     「代打の1番手としてパンチを置いておきたい。だが、おまえ1000万円しかもらってないじゃないか。俺は5000万円はもらってると思ってたよ。おまえは中国人の奥さんがいて子どもが生まれたわけだから、稼がなきゃいけないだろ。リサーチしたら、おまえは芸能界でやっていける素質があるいう話だ。今、芸能界に入ったら年俸の5倍稼げるから、引退しろ」

    「芸能界での素質があるなら、今すぐ野球を引退しなくてもいいじゃないですか」と僕。

    「1年早くても1年遅くてもいけない。芸能界へ行くのは今だ!」


    https://news.livedoor.com/article/detail/19624000/ 
      
    日刊ゲンダイDIGITAL


    (出典 image.news.livedoor.com)


    (出典 hochi.news)



    (出典 abundant.jp)


    https://npb.jp/bis/players/81783881.html
    成績


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    ザブングルは、ワタナベエンターテインメント所属のお笑いコンビ。1999年9月結成。名古屋NSC5期生で、以前は別々のコンビで名古屋吉本に所属していた。 ツッコミ担当の松尾と、ボケ担当の加藤のコンビで、ネタは漫才・コント両方行うが、主にコント。元はコントのネタを漫才として使うこともある。



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    「ザブングル」が3月で解散 松尾陽介は芸能界引退…企画や制作など裏方の仕事を希望 加藤は残る

    1 征夷大将軍 ★ :2021/02/01(月) 07:31:09.31 ID:CAP_USER9.net

    東京中日スポーツ2021年2月1日 07時12分
    https://www.chunichi.co.jp/article/194669?rct=entertainment

     お笑いコンビ「ザブングル」が3月31日をもって解散することになった。1日、所属事務所「ワタナベエンターテインメント」の公式サイトで発表された。松尾陽介(44)は同日付で同社との専属契約を満了し、芸能活動から引退。加藤歩(46)は単独で芸能活動を継続する。

     突然の発表に衝撃が走った。芸能活動に区切りをつけ、新しいことにチャレンジしてみたいという松尾の思いを尊重し話し合った結果、解散という決断をしたという。事務所は「21年間ザブングルを応援して下さったファンの皆様、関係者の皆様、あたたかい声援を誠にありがとうございました」と感謝のメッセージを掲載した。関係者によると、松尾は引退後、企画や制作など裏方の仕事への意欲を示しているが、具体的には何も決まっていないという。

     ザブングルは愛知県出身の松尾と三重県出身の加藤が1999年9月に結成。主なネタは、ボケ担当の加藤がテレビドラマ「スクール☆ウォーズ」の名シーンをもとに、顔をくしゃくしゃにしながら叫ぶ「悔しいです!」や、袖をまくって「見ろやこの筋肉、カッチカチやで!! カッチカチやぞ!! ゾックゾクするやろ!!」など。


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