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    カテゴリ: 芸能


    広瀬 すず(ひろせ すず、1998年〈平成10年〉6月19日 - )は、日本の女優、ファッションモデル。静岡県静岡市清水区出身。フォスタープラス所属。 実姉は女優でファッションモデルの広瀬アリス。 
    広瀬すずはもう限界? 20代でヒット作ゼロ… 「演技にまつわる受賞歴は現役でトップレベル」も“子役演技”から抜け出せず

    広瀬すずはもう限界? 20代でヒット作ゼロ…
    “子役演技”から抜け出せず

    演技派俳優の広瀬すずに限界説が浮上。
    本田翼と同じ末路をたどるといわれている。

    広瀬はデビュー間もない2015年度に、『海街diary』の大ヒットを受けて各演技賞を総なめに。
    2016年度には第40回日本アカデミー賞で優秀主演女優賞、優秀助演女優賞をダブル受賞した。

    さらにエランドール賞新人賞も受賞。
    その後、2017年度に日本アカデミー賞最優秀助演女優賞、2020年度に優秀主演女優賞、2021年度に優秀助演女優賞、2022年度に優秀主演女優賞を受賞している。

    「演技にまつわる受賞歴は現役でトップレベル。広瀬は日本が誇る、いや、日本アカデミー賞が誇るぶっちぎりの演技派女優なのです」(芸能記者)

    しかし、主演ドラマは現在放送中の『夕暮れに、手をつなぐ』(TBS系)を含め、3作連続で大爆死。
    まったくヒットしていない。

    「はっきり言うと、映画はいくらでも誤魔化しがききますからね。興業収入が振るわなくても、?社会派作品だから?と言い訳できるし、適当に映画賞を受賞したり、海外に出品すれば成功した雰囲気になる。しかしドラマは、視聴率という絶対的な指標がある。映画より何十倍もの人が見るため、ドラマのほうがより公平で客観的な評価が下される。ここで結果を残せない俳優は、ダメと判断していい。映画賞なんて所詮は芸能界の内輪ノリ、忖度まみれの無価値なものです」(同・記者)

    十代で燃え尽きていた広瀬すず

    ちなみに、ドラマ賞に関しても、もちろん価値はない。
    なぜなら、広瀬は視聴者から演技が酷評された大爆死ドラマ『ネメシス』(日本テレビ系)で、主演女優賞を取っているからだ。

    「役者歴10年になる広瀬ですが、代表作はいまだに2015年の主演でもない映画『海街diary』と、2016年の映画『ちはやふる』。最初の2、3年がピークで、それ以降まったく結果を残せていないのです。そのため、広瀬の演技は?子役演技?なんて揶揄もされていますね。高校生時代ならそれでよかったですが、大人になった今も子役時代と同じように演技をしているために違和感が半端ない」(同)

    ここ数年の広瀬の代表作といえば、「三井のすずちゃん」CMと「コンタック」CMくらい。

    これは、代表作が「LINEモバイル」CMの本田翼と同じ。
    そして本田は度重なるドラマ・映画の爆死を受けて、30歳を機に俳優業からの撤退をウワサされている。

    広瀬もこのまま、10代の自分を超えられないまま終わっていくのだろうか…。


    https://myjitsu.jp/archives/408026


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    綾瀬 はるか(あやせ はるか、1985年〈昭和60年〉3月24日 - )は、日本の女優。広島県広島市出身。ホリプロ所属。 2000年、第25回ホリプロタレントスカウトキャラバンで審査員特別賞を受賞し、芸能界デビュー。受賞当時は蓼丸綾(たでまるあや)の名義であり、のちに綾瀬はるかの芸名で活動を開始する。

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    綾瀬はるか、「木村拓哉と夫婦役」時代劇映画大ヒットで “令和の吉永小百合” への道

    綾瀬はるか、「木村拓哉と夫婦役」時代劇映画大ヒットで“令和の吉永小百合”への道

     木村拓哉(50)が織田信長を、綾瀬はるか(37)がヒロイン濃姫を演じる東映創立70周年記念作品の映画『レジェンド&バタフライ』が1月27日に公開された。
    9日間で興行収入10億円を突破し、早くも木村の代表作になるという声もあがっている。映画ライターが語る。

    「木村さんは昨年11月開催の『ぎふ信長まつり』に参加するなど宣伝活動にも力を入れており、自身の代表作にしたいと意気込んでいるようです。なによりも綾瀬さんが演じる濃姫が魅力的です。気高く美しい、まさに綾瀬さんのハマり役になっています。『南極大陸』以来12年ぶりの共演となった木村さんとはアクションでも抜群のコンビネーションをみせ、初めて夫婦役を演じた木村さんが綾瀬さんをベタ褒めしていました。“孤高のカリスマ”木村さんと国民的女優の綾瀬さんの時代劇共演は、かつての高倉健さんと吉永小百合さんを彷彿とさせます」

     映画館の大スクリーンでキラキラと光を放つ女優──昭和世代がそうして憧れたのが吉永小百合なら、令和の今、綾瀬にも同じような「華」があると語るのはアイドル評論家の中森明夫氏だ。

    「吉永さんはサユリストという言葉が生まれたように野坂昭如さんなど文化人にも愛されましたが、綾瀬さんもニュースキャスターの故・筑紫哲也さんが早い段階からファンを公言し、終戦記念特番では広島出身の綾瀬さんが20歳になったばかりの頃から共演していました。若い女性たちから憧れられるのと同時に偉大な作家やジャーナリストも魅了される。吉永さんに憧れた昭和世代のおじさんたちも同じように綾瀬さんに魅了されていると思います。
    綾瀬さんは演技になるとすごくて、今回の映画でも木村拓哉さんが驚いたと言ったほどです。一方、素はものすごく天然キャラで、『輝く!日本レコード大賞』(TBS系)の司会では何度もミスをして司会の堺正章さんが困っちゃった。最も有名なのは『NHK紅白歌合戦』の司会で、生放送の間に視聴者みんながヒヤヒヤとした。役者としての完璧さと普段の抜けているところのアンバランスさというのが彼女の魅力なのでしょう。不思議と綾瀬さんを嫌いな人はほとんどいない。役者として完璧で大女優になりつつあるのに少女のようなフレッシュな面影があり、独特の存在になっています」

     2000年にオーディションをきっかけに芸能界デビューをはたした綾瀬だが、本格的な女優として世に出るきっかけとなったのは、2004年のドラマ『世界の中心で、愛をさけぶ』(TBS系)だった。

     先行して大ヒットしていた映画版では長澤まさみが演じたヒロインで白血病を患う亜紀を、オーディションの末に勝ち取った。中森氏が語る。

    「歌うアイドルが不調だったゼロ年代に出てきたのが、綾瀬さん、長澤まさみさん、石原さとみさん、新垣結衣さんたちでした。当時は女優がアイドル的役割も担っていて、若い女性たちから『なりたい女性』として憧れられ、化粧品などのCMにこぞって出ていました。この頃、頭角を現した人気女優たちは20年近く経った今も、同じように活躍を続けているのです。なかでも石原さんや新垣さんなど同世代の女優たちが続々と結婚するなか、綾瀬さんは“最後の独身好感度女優”です。清純派スターの吉永さんが結婚した時は大きな衝撃が走り、ファンは皆がっかりしたものです。綾瀬さんが結婚するとなると、その時もきっと吉永さんと同じようになるでしょう」


    https://news.yahoo.co.jp/articles/87355a7f96b7a7721bdba96a45de7c5281b57b36?page=1

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    佐々木 (ささき のぞみ、1988年〈昭和63年〉2月8日 - )は、日本の女優、ファッションモデル。旧姓同じ。本名は渡部 (わたべ のぞみ)。 秋田県秋田市出身。トップコート所属。夫はアンジャッシュの渡部建。 
    佐々木希、35歳の誕生日を迎えて心境つづる 「自分なりの幸せを噛み締めながら楽しみたい」「応援してくださる方々に感謝」


     女優の佐々木希が、10日に自身の公式インスタグラムを更新。35歳の誕生日を迎えた現在の心境は…ファンからは祝福の声が寄せられている。

    「今日は雪予報ですね。どうか安全にお過ごしください」とファンを気遣いつつ、「先日、35歳になりました!」と報告する佐々木。

      お祝いコメントやプレゼントをくれた友人・知人、関係者などに感謝の気持ちを述べつつ、「歳を重ねて思うこと」について話しはじめる。
    「これからも自分なりの幸せを噛み締めながら、楽しみたいな」「忙しい日々も好き!最高!…って思う日もあれば、あぁ今日は何にもしたくないし、動きたくない。。なんて日もある。笑」とコメント。

     だからこそ「自分へのご褒美は、忘れないようにします」と笑い混じりに語り、「今、周りに居てくれている人々や応援してくださる方々に感謝しながら35歳も充実した日々を過ごせたらいいなと思います!」とつづけた。

     誕生日当日には、スーツを着た息子から花束と似顔絵をもらい、夜には鶏鍋とケーキを食べたそう。投稿には、その際の写真も添えられている。


    (出典 i.imgur.com)


    (出典 i.imgur.com)


    (出典 i.imgur.com)


    (出典 i.imgur.com)

    https://sirabee.com/2023/02/10/20163023154/
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    松村 雄基(まつむら ゆうき、1963年11月7日 - )は、日本の俳優である。オールスターズ・カンパニー所属。 東京都文京区出身。元々、役者という仕事については「どこか遠くの世界のようだった」と思っていてあまり興味がなかったが、中学生時代、同級生の母親から旧知の芸能事務所社長を紹介されたことが縁で芸能界入り。
    松村雄基 18歳から祖母を介護も「苦ではない」 “下町あるある” に感謝「一人だったら出来なかった」


     俳優の松村雄基(59)が21日放送のNHK Eテレ「ハートネットTV」(月~水曜後8・00)に出演。18歳の時から祖母を介護してきた“ヤングケアラー”としての日々を明かした。

     松村は幼い頃から父方の祖母と二人暮らし。幼少期から祖母の厳しいしつけを受けて育ち、親がいなくても寂しいと感じたことは一度もなかったという。そんな松村は高校2年生でドラマデビューを果たし、人気俳優への道へ。しかし高校3年の時に祖母が脳梗塞で倒れ、半身マヒと言語障害の後遺症が残ってしまいヤングケアラーとしての日々を過ごすことに。

     ラグビーを題材にした伝説の熱血青春ドラマ「スクール☆ウォーズ」出演時について聞かれ「(介護は)あのドラマ当時が20歳だったので2年ぐらい前からですね。介護といっても祖母とずっと二人で暮らしてきましたので、まぁ不自由になったところを手伝っている程度のことではあったんですけどね」とコメントした。

     祖母が倒れた日を振り返り「名古屋に撮影に行く前の日に、明日から名古屋なんで一週間洗濯しといてねって、明日からの用意しといてねって寒い冬の日に言ったんですよ。洗濯機が外にあったので、それをしている最中に倒れたんじゃないかと思って、自分のせいでという思いが最初は強かったです。非常にショックでした」と責任を感じていたことを明かした。

     介護当初については「もう見よう見まねで、手を引いて歩くのもなかなか上手く出来ないですよね。歩幅を合わせてトイレに連れていく。最初は一緒に倒れたり色んなことがありながら、トイレにいってもズボンやパジャマを脱がせたりとか祖母にそんなことをするとは思わなかったので、いいのかなーとか思いながらでも誰もいないので僕がやるしかないと思って」と苦戦した様子を告白。

     役者との両立については「そんなことを大変に思う間がなかったですね。叔母がだいたい食事の支度をしてくれていますし、僕は仕事行ったら祖母の事は忘れてワァーーーと人を殴ったり蹴ったりしてましたから(笑)」と笑い飛ばした。

     続けて「家に帰ってきて時々トイレが間に合わない状況だった時でも掃除したりするのは苦ではなかったですね。普通だった。お風呂は叔母が一緒に行ってくれたので。それに下町のいいところで、血の繋がらない親戚のような人がいっぱいいるんですよ。おばあちゃん良かったねー !! 孫におんぶされて。お風呂?行ってらっしゃいとか声掛けもらって暖かい気持ちになった。だから僕は辛くはなかった。時にはご飯とかも作ってきてくれて、ノックもしないで家に入ってきて、おばあちゃんこれ食べて !! とかきてくれた」と “下町あるある” に救われたと説明。「一人だったら(介護は)多分出来なかったですね」と当時を振り返った。

    https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/02/21/kiji/20230221s00041000591000c.html

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    大杉 漣(おおすぎ れん、1951年〈昭和26年〉9月27日 - 2018年〈平成30年〉2月21日)は、日本の俳優、タレント。本名︰大杉 孝(おおすぎ たかし)。徳島県小松島市出身。明治大学中退。身長178cm、体重72kg。血液型はB型。最終所属はザッコ。長男は写真家の大杉隼平。異名は「300の顔を持つ男」「カメレオン俳優」。…
    大杉漣さんウェブサイト「大杉漣記念館」が命日の21日で閉鎖「作品のなかで出会っていただけることを…」

     2018年2月に66歳で亡くなった俳優・大杉漣さんのウェブサイト「大杉漣記念館」が、今月21日の大杉さんの命日をもって閉鎖されることが13日、同サイトで発表された。

     「『大杉漣記念館』閉館のお知らせ」と題し、スタッフ一同の名で「大杉漣が逝き、六度目の春を迎えようとしています。この度『大杉漣記念館』に終止符を打ちます」と報告。「立ち上げる際にご協力いただいた皆さま、快く引き受けていただき感謝しております。そして、なにより記念館に訪れてくださった皆さま、ありがとうございます。また、どこかで、作品のなかの大杉漣と出会っていただけることを願っております」とした。公式ツイッターでは「2023年2月21日にて閉館となります」と伝え、ハッシュタグで「#心からの感謝を込めて」と記した。

     「大杉漣記念館」は19年2月20日にオープン。大杉さんが亡くなる約7時間前まで撮影していたテレビ東京系ドラマ「バイプレイヤーズ」の劇中に登場する「大杉漣記念館」を作ってほしいという多くの声を受けて、開設が実現した。大杉さんのプロフィル、幼少時からの秘蔵画像や出演作品のデータのほか、生前のブログやエッセー、新聞や週刊誌に連載していたコラムなども掲載している。

    https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/02/13/kiji/20230213s00041000514000c.html

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