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    カテゴリ:芸能 > 作曲家

    『第54回 日本作詩大賞』は幸耕平氏「君がそばにいるから」に決定 純烈が感謝の歌声を披露

    日本作詩大賞は「君がそばにいるから」に決定

    幸 耕平(みゆき こうへい)は、日本の作曲家。音楽プロデューサー。


     『第54回 日本作詩大賞』が4日、BSテレ東で午後6時30分から生放送され、今年の大賞を幸耕平氏が手掛けた「君がそばにいるから」(歌唱:純烈)が受賞した。

     幸氏は「信じられないです。このコロナ禍の中で、やはり純烈が一所懸命1年間通して歌ってくれたおかげでこの賞につながったんじゃないでしょうか。心より御礼申し上げます。大変感激しております。感無量です」と喜びを語った。

     純烈のリーダー・酒井一圭は「これを見ているファンの皆さんが本当に喜んでいただいていると思うし、幸さんも僕らずっとお世話になりっぱなしなんで良かったです。ありがとうございます」と感謝し、メンバー4人で熱唱した。

     審査員特別賞は麻こよみ氏の「下町銀座」(歌唱:長山洋子)が選ばれ、最優秀新人賞には、ともに大川栄策が歌う、小山内圭氏の「男泣かせの雨が降る」と藍川由那氏の「泣きむし蛍」が選ばれた。

     日本作詩大賞は、曲や歌手ではなく作詩に与えられる賞で、今年で54回目を迎えた。


    『第54回 日本作詩大賞』は幸耕平氏「君がそばにいるから」に決定 純烈が感謝の歌声を披露 (msn.com)





    小林 亜星(こばやし あせい、1932年8月11日 - )は、日本の作曲家。そのほかに作詞家、俳優、タレント、幾つかのCMソングや楽曲では歌手として歌うという幾つもの顔を持つマルチタレントでもある。音楽界の「巨匠」の一人でもある。 アストロミュージック所属。日本作詞作曲家協会(J-scat)理事。大日本肥満者連盟(大ピ連)初代会長を務めた。CMソングやテレビ主題歌にヒット曲、ロングランの曲が非常に多い。


     作曲家として都はるみ「北の宿から」や日立グループ「日立の樹」などの名曲を手掛け、俳優としてもTBS系ドラマ「寺内貫太郎一家」に主演するなどマルチに活躍した小林亜星(こばやし・あせい)さんが5月30日、心不全のため死去したことが14日、分かった。88歳だった。生涯で手掛けた楽曲は6000曲超。葬儀は近親者のみですでに執り行われ、お別れの会は予定していない。

     5月30日に心不全のため亡くなった作曲家の小林亜星さん(享年88)は、俳優としても存在感を見せていた。

     1974年1月にスタートしたTBS系連続ドラマ「寺内貫太郎一家」では、俳優デビューにして主演に抜てき。丸刈り頭に黒縁メガネで昭和の頑固オヤジを演じた。当時41歳で体重110キロという体格を買われての起用だった。

     東京・谷中の石材店を舞台に家族の触れ合いを描いたホームドラマ。小林さんが演じた寺内貫太郎は新聞や風呂は必ず家族で1番。毎回、ささいなことで怒り、ちゃぶ台をひっくり返した。どなりまくり、息子役の西城秀樹さん(18年死去、享年63)らと取っ組み合いのけんかをするのがお決まりのパターンだった。西城さんは勢い余って茶の間から庭まで投げ飛ばされ、右腕を骨折したこともあった。

     ドラマでは携帯電話もない時代、家族が面と向かって言葉を交わし、ぶつかり合う日本の家族が描かれ、その中心に小林さん演じる貫太郎がいた。TBSの気鋭ディレクターだった久世光彦さんが演出を担当し、連ドラで平均視聴率30%超を記録。シリーズ化され、国民的ホームドラマとなった。99年には新橋演舞場で舞台が上演された。

     個性派俳優として活躍した小林さんは映画「冬の華」「まあだだよ」「死に花」、ドラマ「塀の中の懲りない面々」(TBS)、「花へんろ」(NHK)などにも出演。2002年前期のNHK連続テレビ小説「さくら」ではヒロイン・さくら(高野志穂)の祖父役を演じた。

     小林さんはテレビ朝日系クイズ番組「ヒントでピント」では男性チームのキャプテンを務め、TBS系バラエティー番組「わくわく動物ランド」に解答者として出演するなど作曲家、役者以外でもマルチに活躍した。「パッとさいでりあ」(新興産業)など作曲を手掛け、自らも出演するCMもあった。

    「貫太郎」西城秀樹さん投げ飛ばし右腕骨折の熱演…小林亜星さん死去 (msn.com)



    小林 亜星(こばやし あせい、1932年8月11日 - )は、日本の作曲家。そのほかに作詞家、俳優、タレント、幾つかのCMソングや楽曲では歌手として歌うという幾つもの顔を持つマルチタレントでもある。音楽界の「巨匠」の一人でもある。 アストロミュージック所属。日本作詞作曲家協会(J-scat)理事。


    (出典 www9.nhk.or.jp)


    小林亜星氏「気が合うのか合わないのか、不思議な関係」伊藤アキラさん悼む

    1 湛然 ★ :2021/05/23(日) 05:54:32.88 ID:CAP_USER9.net

    小林亜星氏「気が合うのか合わないのか、不思議な関係」伊藤アキラさん悼む

    [2021年5月22日19時50分]日刊スポーツ
    https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202105220001262.html
    小林亜星氏(2018年5月撮影) 
     
      15日に急性腎不全のため亡くなった作詞家の伊藤アキラ(いとう・あきら)さん(本名伊藤晧=いとう・あきら)と「日立の樹」などのCMソングでタッグを組んだ作曲家・小林亜星氏が22日、報道各社に追悼コメントを出した。

     「この木なんの木」など親しみやすいフレーズのCMソングや歌謡曲、アニメソングを数多く手がけた伊藤さんについて「突然の訃報にただ驚いております。彼とは様々なコマーシャルソングでご一緒させて頂きました。『日立の樹』など、数えればキリがありません」と率直に思いをつづった。

     伊藤さんとの関係性について「プライベートではお酒も呑まず、大変真面目な方でしたので、私のような飲兵衛とはほとんど接点はなかったのですが、仕事ではいつも彼の歌詞が回ってくると、スムーズにメロディをつけれるという、気が合うのか合わないのか、そんな不思議な関係でした」と振り返った。

     「2014年に北海道・六花亭製菓のコマーシャルソング『花咲く六花亭』で共作したのが最後の作品となりました」と思い返し「『はな(花)、はな、はな~』と歌詞のほとんどが『はな』しか言っておらず、最初にそれを見た時はすごくビックリしましたがそれもこれも良い思い出です」。

     「お疲れ様でした。謹んでご冥福をお祈りいたします」と悼んだ。 
     


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    木村 真也(きむら しんや、1969年7月28日 - )は、日本のキーボーディスト、作曲家。青森県五所川原市出身。血液型A型。WANDSのメンバー。 1992年9月、大島康祐の後任としてWANDSのキーボードとしてメンバーに加入。同年10月28日にリリースされた中山美穂&WANDSの「世界中の誰よりきっと」でデビュー。

    WANDSメンバー 左が木村真也

    (出典 images.rollingstonejapan.com)


    WANDS・木村真也 新型コロナへの「不安感や過度なストレス」で療養 制作活動の休止を発表

    1 冬月記者 ★ :2021/04/25(日) 03:25:37.87 ID:CAP_USER9.net

    WANDS木村真也、新型コロナへの「不安感や過度なストレス」で療養

    「健やかな心身を取り戻すための環境整えたい」

     ロックバンド「WANDS」の公式サイトは24日、キーボード・木村真也が「新型コロナウイルス感染症に伴う不安感や過度なストレス」からの療養のため、制作活動を休止すると発表した。

     公式サイトは「木村は新型コロナウイルス感染症に伴う不安感や過度なストレスにより、昨年から心身ともに万全な状態ではございませんでした。

     過去に音楽番組の出演を一度見合わせたこともあり、その後も体調を見ながらWANDSとしての活動を行ってまいりました。しかしながら、今年に入っても状況は改善されておらず、療養のため、止む無くライブ、制作活動を休止することといたしました。

     木村が療養に専念できるよう、期間は設けず、健やかな心身を取り戻すための環境を整えたいと考えております」と説明した。

     今後については「柴崎浩(Gt.)、上原大史(Vo.)の両名にて行ってまいります。木村も、WANDSの活動が続いていくことを望んでおり、決して立ち止まることなく、これからも積極的にWANDSの音楽を届けていく所存です」と記した。


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    中村 泰士(なかむら たいじ、1939年〈昭和14年〉5月21日 - 2020年〈令和2年〉12月20日 )は、日本の作曲家・作詞家。 奈良県北葛城郡王寺町出身。本名は泰士と書いて「たいし」と読む。クリスチャンの家に、長兄と12歳も離れた5人兄弟の末っ子として生まれる。6歳の時に歯科医師の父が亡くな
    14キロバイト (1,696 語) - 2020年12月24日 (木) 10:17



    (出典 www.billboard-live.com)


    中村泰士作曲「今は幸せかい」は、1969年当時60万枚の大ヒット。その後、数々の昭和のヒット曲を生む

    1 爆笑ゴリラ ★ :2020/12/24(木) 16:00:08.96 ID:CAP_USER9.net BE:592079644-2BP(0)


    (出典 img.5ch.net)

    12/24(木) 15:58配信
    スポニチアネックス

    昔のお互いの写真をネタに盛り上がる佐川満男と中村泰士さん(2019年撮影)

     亡くなった中村さんが1969年に作曲家としてのデビュー曲で60万枚の大ヒット曲となった「今は幸せかい」を歌った歌手・佐川満男(81)は24日、本紙の取材に「私から何も言うことはありません」とショックの大きさを隠しきれなかった。佐川は昨年5月21日の中村さんの誕生日に開催された「80歳記念ディナーショー」に出演し、一緒に舞台に立った。「昨年は一緒に仕事したけど、今年は一度も会ってないかな」と盟友の死に言葉は少なかった。


    (出典 amd-pctr.c.yimg.jp)

    https://news.yahoo.co.jp/articles/835c17f1f57cde3f8586df4624d4eafc2adeeb0c


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