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    カテゴリ:芸能 > 漫才師




    笑顔がよく似合うさゆり(撮影・吉澤敬太)
    © デイリースポーツ

    かつみ♥さゆりは、太平かつみ(個人としての表記はかつみ♥)と尾崎小百合(同♥さゆり)による日本の夫婦漫才コンビ。所属事務所は吉本興業東京本社。愛称「かつさゆ」。漫才の他、テレビ番組のレポーターなども多く務める。また、かつみの多額の借金に関する様々なエピソードを持ちネタにすることでも知られている

     夫婦漫才コンビ「かつみ・さゆり」と言えば、やはり借金ネタが鉄板中の鉄板だ。オオクワガタの養殖で失敗したかと思えば、ラーメン店の経営に失敗、100円ショップに手を出すもこれまた失敗。株取引の失敗などと合わさって借金額は一時、2億円にも。それでも夫婦は仲良く、今年、めでたく銀婚式を迎えた。さゆりにとってかつみの魅力は何なのか。「自分で作った借金やから自己破産は絶対にしない。必ず返すと言ったのが男らしくて」とノロけた。

      -かつみ・さゆりといえばやはり借金ネタが有名です。

     10億円の督促状が来たことがあったんですよ!

     -じゅ、十億。

     どんきほーて(かつみが組んでいた漫才コンビ)が解散して10日後くらいでした。かつみさんのお父様、かつみさん自身あまり面識がないんですけど、そのお父様が生前、連帯保証人になっていた会社が倒産したとかで、かつみさんに10億円の督促状が来たんです。本当にびっくりしました。京都の銀行からすごい分厚くて仰々しい封筒が突然来て開けたら0がいっぱい付いてたんです。2人で一、十、百、千、万と数えて10億!って驚きました。お父様は会社を経営されているような方だったので、わたしたちは最初、遺産を残してくれたんやってめっちゃ喜んだんです。よーく読んだらその金額を「何月何日までに振り込むように」って書いてあったんです。

     -悲惨な展開。

     かつみさんはその時点ですでに2億の借金があったんです。自分が作った借金やから必ず返す、自己破産は絶対にしないと言ったのが男らしくって私も助けてあげたいと思ったんです。でも元金が減らなくて金利でふくらんで。そんなときにコンビは解散、10億の督促状は来るわで…。

     -いつごろのこと。

     忘れもしない1999年の7の月。昔、「ノストラダムスの大予言」(五島勉著)で1999年の7月に世界が滅ぶってありましたよね。7月になっても何も起こらへんやんって言ってたら、うちにだけピンポイントに恐怖の大王が!弁護士さんに相談したら、遺産は財産でも負債でも相続もできれば放棄もできると教えていただいて放棄しました。

     -お2人のホームページに2015年7月の時点で借金が1億7千万円と。現在は。

     池田泉州銀行さんにドラマ「半沢直樹」のような方がいらっしゃって、借金をひとまとめにして借り換えさせてくれたんです。金利をすごい低くしてくれました。借金が何で減らないかというと、今までバブル時代のままの金利で平均5%以上やったんです。元金が2億だったら年間1000万払っても元金が減らないんです。年間1000万ですよ。無理じゃないですか。高い金利のせいで雪だるま式に増えていったんです。雪だるま式って、ようできた言葉やと思います。利息のせいでどんどん額が大きくなる。何十行とお願いしても断られたんですが池田泉州銀行さんが借り換えさせてくれました。心から感謝してます。借金のことを「ネタやろ」って言われますけどわたしらネタで引っ張りたくないんです。ほんとに!

     -かつみさんは色々挑戦しすぎて借金を作ってしまった。

     かつみさんは失敗ばっかりしはるんですけど32年間、横にいてひとつ言えるのは先見の明だけはあるんです。ただ、いつも早い。オオクワガタの養殖もそうです。8センチを超えるものは100万円の値が付くこともあった時代にかつみさんは順調に養殖して300匹くらいまで増やしたんです。わたしがバルサンをたいて全滅させてしまったんですけど…。コバエだけに効けばいいと思って。その後にムシキングっていう大きなブームが来ました。100円ショップもです。世の中にこんなに100円ショップが広がる前に始めたんです。結局、失敗しましたけど目の付け所は悪くないんです。

     -草間彌生さんの絵画を持っていて今はバンクシーの作品を所有している。草間さんの作品は13万円で購入したと。現在では考えられないお手頃価格。

     草間さんがニューヨークで賞を取る前で一般的な知名度がなかったころでした。かつみさんが13万円で黄色のかぼちゃの絵を買ってきたんです。ある日、知り合いの画廊さんからかつみさんに電話があって「草間さんがニューヨークで賞を取ってブレークしてる。今、高いから売り」って。確かに90万で売れましたけど、なんで電話かけてきたんかなって(怒り気味)。今は3000万を超えてるんです!黄色のかぼちゃ。(草間氏は96年に国際美術家連盟アメリカ支部よりベストギャラリー賞受賞)

     -バンクシーは今も所有。

     かつみさんはだいぶ前からバンクシーが好きで作品を所有するのが夢でした。ようやく手に入れたんですがお金にすごい困った時があって、泣く泣くバンクシーを手放してお金を作ろうとオークションに出品したんです。そのときにシュレッダー事件があったんです。

     -18年にバンクシー作品が1億5000万円で落札直後、シュレッダーが作動して作品がずたずたになった件ですね。

     今までのかつみさんだったらシュレッダー事件でバンクシー作品が一気に注目を集めて値が高騰して、でも自分が出品したものは人気が出る寸前に高くない値段で「売れた後やったんですわー」って嘆くパターンじゃないですか。なんでこんな奇跡的なタイミングで下手うつんやろみたいな。それがシュレッダー事件のときはわたしがかつみさんに、「作品を戻してもらったほうがいいんじゃない」って。普通、戻ってこないのが戻って来たんです。かつみさんの人生が好転し始めたんかなと思ってます。

     -かつみさんはテレビで「1億になったら売る」と。

     バンクシーの作品は我が家の守り神的な存在になってます。経済的に困ったときに「この子がいてくださっている」という安心感があるんです。今までに無かった安心感です。いつか手放したら、めっちゃお金に困ってるんやなって思って下さい(笑)。

     かつみ・さゆり 本名市田克彦、市田小百合。かつみは1963年2月27日生まれ。NSC大阪校2期生。和歌山県立箕島高校野球部時代に甲子園春夏連覇(ただし補欠)。さゆりは69年7月15日生まれ。88年吉本入社。かつみは漫才コンビ「どんきほ~て」として活動し99年解散後、00年4月に「かつみハートさゆり」結成。結婚は96年3月27日。今年は銀婚式。



    かつみさゆりは、かつみ♥(旧 太平かつみ)と♥さゆり(同 尾崎小百合)による日本の夫婦漫才コンビ。所属事務所は吉本興業東京本社。愛称「かつさゆ」。漫才の他、テレビ番組のレポーターなども多く務める。また、かつみの多額の借金に関する様々なエピソードを持ちネタにすることでも知られている。
    かつみ♥かつみ、本名 市田克彦(いちだ かつひこ)1963年2月27日(58歳) - )京都府京都市出身。
    ♥さゆり(さゆり、本名 市田小百合(いちだ さゆり)1969年7月15日(51歳) - )兵庫県神戸市長田区出身。ボケ担当。


    (出典 www.sponichi.co.jp)


    かつみ・さゆり 32年間かけられた「魔法の言葉」、借金抱えても仲良し夫婦の極意

    1 爆笑ゴリラ ★ :2021/04/17(土) 15:35:33.17 ID:CAP_USER9.net

    4/17(土) 13:29配信
    デイリースポーツ

     取材した日はちょうど結婚から25年目の銀婚式。仲良く25ポーズを見せるかつみ・さゆり=MBS(撮影・吉澤敬太)

     夫婦漫才コンビ「かつみ・さゆり」は鉄板の借金ネタで笑いをかっさらう。その額は億を超えるというのに仲むつまじく、先月27日に銀婚式を迎えた。結婚して25年。

     コロナ禍にYouTubeで「ボヨヨンチャンネル」を開設し、さゆりが「51歳すっぴん大公開!」と素顔をさらした動画は再生回数130万回を超えた。

     夫婦仲良しの秘訣(ひけつ)は妻にあるのではと考え、MBS「せやねん!」(土曜、前9・25)終わりにさゆり(51)を直撃した。

     -コロナで仕事にどのような影響が。

     わたしたちロケタレじゃないですか。一番ひどい時でロケが9割減りました。

     -それでYouTube「かつさゆのボヨヨンチャンネル」を。「51歳すっぴん大公開」は130万回の再生ですね。

     あはははは!もう、必死パッチでやってるんです。仕事が減ってもうちは毎月お支払いしなきゃいけない取引先がたくさんあるじゃないですか。

     -借金の返済先が。

     その皆さんを困らすわけにいかないので、とにかく何かせなあかんと。吉本も芸人が困りだしたんで「YouTubeやれる人はやってください」って支援もしてくれました。吉本をいろんな人が離れていったけど、けっこういい会社ですよ。

     仕事が減ったときに吉本ファイナンスっていう子会社から電話があって、「かつみさゆりさん、もう無理ですよね」ってお金貸してくれました。すぐに電話をくれたのはありがたかったです。

     -「かつみ・さゆり」結成は中田カウス師匠が後押し。

     「どんきほ~て」(かつみが以前組んでいたコンビ)が解散して、かつみさんは吉本に行って「若手が断った危険な仕事でも承ります」っていう看板を持って仕事とりにいったんです。

     ほんとに危険な仕事ばっかりやったんです。ワニとチューとか、サソリとなんとかとか、真冬の道頓堀川に飛び込むとか。道頓堀川が今みたいにきれいじゃない時です。

     わたしはかつみさんのことが心配で。藻が絡んで浮き上がってこられなかったらどうしようって考えたり。だからチアガールのポンポンみたいなのを作ってディレクターさんに呼ばれもしないのに現場に行ってカメラさんの後ろで「かっつみ、頑張れ、かっつみ、頑張れ」って応援してたんです。

     -素敵です。

     音声さんから「うるさいです」って言われて。ポンポンがシャカシャカ鳴るから。それでちいちゃいのを作って、「ボヨヨーン」ができたんです。

     そんなことをカウス師匠が知って下さって、かつみさんに「おまえ、どこ見とんねん」と。「ええ相方が隣におるやないか。嫁とコンビ組め」と。

     わたしもかつみさんも「どうやろ」って思ったんですけど、わたしら借金があってお尻に火が付いてるどころじゃない、守るべきものが今の2人にあるのかと。それでコンビを組んだんです。

     -決断は大変だったのでは。

     どんきほ~てが解散してかつみさんが急に1人になったとき、かつみさんもわたしも「夫婦コンビになる」っていう発想は1ミリもなかったんです。

     よくあるのが、男コンビを組んでいた人が解散して奥さんと夫婦漫才コンビを組むというのは一番安易で同時に一番難しい。

     夫婦だと仕事先で険悪なことがあったら家に持ち込むことなりますから。切り替えが難しいのでお別れされる夫婦コンビを見てきました。

     -「ボヨヨンチャンネル」で印象に残ったのは「魔法の言葉編」です。さゆりさんは「かつみさんと暮らし始めて32年、魔法の言葉をかけられてたんです」と。

     ずっとです。今もさゆりのことを「さゆりちゃん」って言うでしょ。32年間一緒にいる奥さんのことをちゃん付けで呼んでくれる旦那さん、なかなかいないです。

     借金とか大変なことはありますけど、精神的に満たしてくれることがいっぱいあったからこの銀婚式まで仲良くやってこれたと思うんです。

     -かつみさんはどんな魔法の言葉を。

     「かわいいね」ってすっごい言ってくれます。昔も今も。新しいお洋服を買った時に「それすっごい似合う、かわいい」とか、さりげなく。絶対に言わないのが「年がいもなくそんなの着るな」とか。世間一般の基準では測らないです。

     -夫婦仲良くの秘訣のようなものを。

    全文はソース元で

    (出典 amd-pctr.c.yimg.jp)

    https://news.yahoo.co.jp/articles/51ae9decc4e07e3325efeab3c51d51880b57aa59


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    島田洋七(しまだ ようしち、1950年2月10日)は、日本の漫才師、タレント、作家。漫才コンビ B&B のひとり。本名:徳永昭広。広島県広島市出身。島田オフィス、オスカープロモーション所属。



    (出典 www.tv-asahi.co.jp)


    島田洋七さん「再びB&Bを組んで相方の洋八と舞台に立ちたい」「お金とかはもうどうでもエエ」

    1 爆笑ゴリラ ★ :2021/03/22(月) 14:52:40.30 ID:CAP_USER9.net

    3/22(月) 9:06
    日刊ゲンダイDIGITAL

    島田洋七さん「再びB&Bを組んで相方の洋八と舞台に立ちたい」「お金とかはもうどうでもエエ」
    島田洋七さん(C)日刊ゲンダイ
    【死ぬまでにやりたいこれだけのこと】

     島田洋七さん(漫才師・71歳)

     1980年代の漫才ブームで一世を風靡(ふうび)した島田洋七さんは「佐賀のがばいばあちゃん」の故郷、佐賀で暮らしている。死ぬまでにやりたいことを聞いてみたら……。

    ■ 年間200件あった講演がゼロに

    「佐賀のがばいばあちゃん」の本が大ヒットして映画化やドラマ化、舞台化までされて、活動の中心がテレビから全国各地での講演会に変わったんよ。農協や銀行などの企業から年間200件くらいの講演会の依頼があってん。

     昨年あたりから講演会を週に1度くらいのペースに落とそうと思うてたところに今回の新型コロナウイルスやろ。講演会は軒並み中止になったから、仕事は1年ほどまったくないねん。大勢の人が集まるし、テーマが「楽しい老後の過ごし方」とかやから、お客さんは40、50代以上の高齢の方が多いねん。

     お客さんの健康を考えるとそれは仕方ないねんな。

     生活拠点も2002年から、ばあちゃんに育ててもらった佐賀に移したんよ。佐賀は田舎やし、農業を仕事にしている人たちが多いやん。新型コロナが蔓延しても普段どおり畑仕事しとる人が多いわ。

     そんな土地で、わしだけはまったく仕事がない状況なんよね。九州でも仕事ができるのに、一番暇なのは俺やと思うくらいやわ(笑い)。

     今は毎日1万歩くらいウオーキングしてるんよ。そのかいもあって1年で7キロも痩せたんよ。家では酒も飲まんし、他に何もしてないんよ。

     弟弟子の島田紳助とか芸人仲間に電話をすると、「何か趣味を持った方がええんちゃいますか」と言われるんやけど、魚釣りも囲碁も将棋も合わんね。将棋や囲碁はずっと座ってるから、足痛くなるやん。

     講演会で全国4000カ所以上に招かれたから、とくに行きたいところもないしな。言葉が通じないから海外旅行にも興味ないし。唯一沖縄の宮古島が好きなんやけど、今の状況だと旅行もなかなか行けへんやん。何をしていいかわからなくて気がついたのは、俺はやっぱりしゃべることが一番好きやし、趣味やってことやね。

    ■ 相方の洋八さんは伊豆大島に

     今年の2月で71歳になって、寿命を考えるとよくても90歳くらいまでしか生きられへんやろ。もう人生の第4コーナーを回っとんねん。80歳を過ぎたらこれまでのような生活はできへんやん。だから、コロナが収束したら、死ぬまでにしたいことはないもん。

    全文はソース元で

    (出典 amd-pctr.c.yimg.jp)

    https://news.yahoo.co.jp/articles/f01052588d19aede892a160a3e894b6f17be2960


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